母の愛が生んだ宿いまでも思い出す、働く母の後ろ姿

昭和35年、東京都に生まれたれいこさん。母のタチさんに、女手ひとつで育てられました。
タチさんは「旅館をやれば、可愛い娘とずっと一緒にいられるから」と、秩父の荒川で、『あさか旅館』というちいさな宿をはじめました。
お金もなく、頼る人もなく、お手伝いさんを雇う余裕なんてありません。
朝も、昼も、夜も、働きづめ。
そんなお母さんの愛情を受け、れいこさんは、すくすく育っていきました。

 

二人で継ごうかずおさんとの出会いと、二人三脚での出発

学生時代はバレーボールに没頭。
数年のOL時代を経て旅館を手伝いはじめた矢先、夫となるかずおさんと出会いました。
当時のかずおさんは大企業のサラリーマン。ですが、会社をやめ、れいこさんと結婚することを決意しました。
料理人になるため、すぐに修行へと旅立ったかずおさん。
結婚してすぐの数年間を、二人は離れて暮らしました。”バラ色”とはほど遠い新婚生活です。
れいこさん、さみしかっただろうなあ。

 

若女将として子育てに、仕事に、大忙しで流れる月日

昭和が終わり、時代は平成へ。
料理修行から帰ったかずおさんのお料理は、評判を呼びました。
朝にチェックアウトしていくお客様を見送って、お昼にはランチ、そのあと日帰り入浴のお客様の受け入れをして
夕方からは地元のお客様の宴会、そして宿泊のお客様の夕食。
この頃には、三人兄弟の母となっていたれいこさん。
「子どもを育てながら、お父さんと二人で寝ないで働いて・・・いまじゃ、絶対考えられない!」だそうです。

 

竹取物語の誕生一冊の絵本との出会いが、人生を変えた

平成8年。れいこさんとかずおさんは、タチさんから旅館を引き継ぐことになりました。
若いれいこさんの頭のなかは「あんな宿にしたい、こんなこともやりたい」と、アイデアでいっぱいです。
そんなときに出会ったのが、絵本『月の姫』。
十五夜の月から幾千もの光が降りそそぐシーンを見たとき「これだ!」とひらめきました。
「ちょうど、宿の周りには竹がたくさんある!」
『御宿 竹取物語』という、あたらしい宿の名前が生まれた瞬間でした。

 

なにかが、足りない?立ち止まったとき、ふと、思い浮かんだ光景は・・・

女将として、忙しいながらも充実した日々を送っていたれいこさん。
ちいさなちいさな宿は、数々の賞を受賞し、テレビや雑誌に取り上げられるようになりました。
そして、一人、また一人と、独立していく子どもたち。
ある日、思いました。
「私が本当にやりたい”宿”は、どんな宿なんだろう?」
思い浮かんだのは、光がやさしく満ちたラウンジで、かずおさんと二人並び、コーヒーを飲む自分の姿でした。

 

大人の宿へたくさんのさようならと、たくさんの出会い

令和元年、御宿 竹取物語は、大人限定の宿としてリニューアルしました。
と、言葉にするのはとっても簡単なのだけど・・・
それまで来てくれていた家族づれの方や、お子さんの顔を思い浮かべると、しんみりしてしまうれいこさん。
れいこさん、大丈夫だよ。人生のどこかで、また、みなさんと縁がつながる日がくるから。
「大人のための癒し宿」は、いらっしゃる方のほとんどがリピーターさん。
宿の中には、れいこさんの思い描いた”あたたかな静けさ”が広がるようになりました。

 

夢の続きいまの私だから、できること

あれれ? この物語、まだ続きがあるの? れいこさん、もう夢が叶ったんじゃないの?
ひとつ夢が叶ったら、またひとつ、もうひとつ・・・と、夢が出てきちゃうのがれいこさんです。
「宿に来る人は、みんな大切なかぐや姫。みんなのお母さんになって、心の芯から”おかえりなさい”って言いたいの」
なるほど、だから『おうなとおきなの住むところ』になったんですね。
母・タチさんからもらった愛を、今度は自分が、たくさんの人に伝えていきたいんだって。
夢の道は、まだまだ続いていきます。

 

”おきなとおうなの住むところ”
御宿 竹取物語
Renewal Open
全室オールインクルーシブ

竹取物語の物語・・・の、もっと前。
”はじまりの物語”

ちちぶマガジン4号

『ちちぶ MAGAZINE 第4号』に
れいこさんの母・タチさんの物語が掲載されました。

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